A

Achille Castiglioniは1918年ミラノで生まれ、1944年に建築の学位を取得した。
1940年始めより、兄のLivio (1911-1979) とPier Giacomo (1913-1968) とともに、工業生産のテスト分野に専念していた。卒業後、全体的なデザインプロセスの開発を目的として、形状、手法、新素材の研究をスタートした。
1969年、教育省より“産業のための芸術デザイン”を指導することが認められ、1980年までトリノのFaculty of Architectureで教授となり、その後1993年までミラノにて“産業デザイン”の教授となった。
1950年以降、企業分析や研究および、展覧会のプレゼンテーションの分野でも活躍した。(ミラノやモンテカティーニのトリエンナーレ、Agipオイル、イタリア国営放送 RAI等)
1956年創設の、ADI(イタリア・インダストリアル・デザイン協会)創設者の一人でもある。
ニューヨークのMoMAは彼の作品のうち14を採りあげている。他の作品はVictoria and Albert Museum (ロンドン), Kunstgewerbe Museum (チューリッヒ), Staatliches Museum fur Angewandte Kunst (ミュンヘン), Museo del Design (プラート), Uneleckoprumyslove Prague Museum(プラハ), Israel Museum (エルサレム), The Denver Art Museum(デンバー), Vitra Design Museum (ヴァイル アム ライン), Angewandte Kunst Museum (ハンブルグとケルン)に展示されている。
彼は9つのCompasso d´Oroを受賞している。
1984年から86年にかけて、the Museum fur Angewandte Kunst (ウィーン), Akademie der Kunst (ベルリン), Triennale di Milano (ミラノ), Kunstgewerbe Museum (チューリッヒ), Haags Gemeentemuseum (ハーグ), Circulo de Bellas Artes (マドリッド)そしてthe Centre Georges Pompidou (国立ジョルジュ・ポンピドゥー芸術文化センター;パリ)により組織された催しにおいては、彼の一人舞台が続いた。
1985年 (パサデナ、カリフォルニアそしてスイスのモントルーにある)Art Center College of Designの“アドバイザー委員”の名誉メンバーとなる。
1987年 (ロンドンの)Royal College of Artから名誉学位を受ける。
1993年 (ロンドンの)”The Chartered Society of Designers”から年間アウォードを受ける。
1994年 カタロニアの)the Department of Cultureから”Primavera del Design”賞を受ける。
1995年 (パリの)the Conseil National des Art Culinaireから”Art sur Table”賞を受ける。
1996年 (ハノーバーの)Industrie Forum Designから”IF Design Wettbewerb”賞を受ける。
1996年 (シュツットガルトの)Design Centerから”Longevity-Langlebigkeit”賞を受ける。
1999年 INARCH より”Domus/INARCH 1998 Award”賞を受ける。
1999年 ジェノア大学の建築学部から”Targa d´Oro Unione Italiana per il Disegno”賞を受ける。
1999年 建築家Michele De Lucchi と共同でEnel “Sostegni per l´Ambiente”コンペにて優勝する。
2002年死去。

Achille Castiglioniは1918年ミラノで生まれ、1944年に建築の学位を取得しました。 1940年始めより、兄のLivio (1911-1979) とPier Giacomo (1913-1968) とともに、工業生産のテスト分野に専念していた。卒業後、全体的なデザインプロセスの開発を目的として、形状、手法、新素材の研究をスタート。 1969年、教育省より“産業のための芸術デザイン”を指導することが認められ、1980年までトリノのFaculty of Architectureで教授となり、その後1993年までミラノにて“産業デザイン”の教授となりました。 1950年以降、企業分析や研究および、展覧会のプレゼンテーションの分野でも活躍した。(ミラノやモンテカティーニのトリエンナーレ、Agipオイル、イタリア国営放送 RAI等)1956年創設の、ADI(イタリア・インダストリアル・デザイン協会)創設者の一人でもあります。 ニューヨークのMoMAは彼の作品のうち14を採りあげています。 1984年から86年にかけて、the Museum fur Angewandte Kunst (ウィーン), Akademie der Kunst (ベルリン), Triennale di Milano (ミラノ), Kunstgewerbe Museum (チューリッヒ), Haags Gemeentemuseum (ハーグ), Circulo de Bellas Artes (マドリッド)そしてthe Centre Georges Pompidou (国立ジョルジュ・ポンピドゥー芸術文化センター;パリ)により組織された催しにおいては、彼の一人舞台が続きました。

Pier Giacomo Castiglioniは1913年生まれ。1937年に兄Livioとともに、“建築デザイン、都市建築、工業デザインの研究”を開設し1952年Livioの死後、弟のAchilleが1944年より参加。1937年にミラノ工科大学建築学科を卒業しています。 ミラノ都市計画に対する訴状“将来のミラノにおける50の重要な広場”を1938年に建築家Carlo Paganiと共同執筆。ミラノにおける建築大学教授、建築家協会理事、ミラノ市議会委員を務めました。 1964年第13回トリエンナーレの実行委員会メンバーとなり彼は1940年以降、ミラノ・トリエンナーレに毎回出展し、多くの賞を受賞。後半では “余暇、生活時間”に基づいて, Pier Giacomo Castiglioniは実行委員会メンバーとなりました。

1972年フランス生まれのアドリアン・ガルデールは、イポカーニュでフランス文学を学んだ後、ブール高等美術工芸学校と国立装飾美術学校で家具デザイナーとしての訓練を受けました。
彼のデザインは、アルテミデ、リーニュ・ロゼ、シナ、ペリメーター・エディション、ザーツなどの主要な家具・照明ブランドによって生産・販売され、国立現代美術館(フランス)、パリ装飾美術館、ベレン・デザインセンター(リスボン)などの公共デザイン機関のパーマネントコレクションに収蔵されています。
アドリアン・ガルデールは、プロダクトデザインの分野での成功を基に、2000年に自身のスタジオを設立し、博物館学と展示デザインにまで事業を拡大し、主要な国際機関や世界を代表する建築家(フォスター・アンド・パートナーズ、SANAA、デイヴィッド・チ​​ッパーフィールド、槇文彦)と短期間で永続的な関係を築きました。アドリアン・ガルデールは、今後、これらの関係をさらに発展させ、新しいパートナーシップと創造的な仕事のやり方を発展させたいと考えており、すべてのプロジェクトを、ユニークで正当なデザインを生み出す機会と見なしています。それは、新世代にふさわしい博物館学の新しい考え方であり、デザインとコンテンツが訪問者の期待に応え、視覚的、教育的、高揚感を与える体験を提供します。

建築家でありデザイナーのアンヌ・ボイセン(1980年生まれ)は、アート、デザイン、そして建築が交差する分野で幅広く活動しています。ボイセンの作品は、細部へのこだわり、”本物”を生み出す職人技術、そしてタイムレスな美意識によって確立します。デザインオブジェクトで表現できる身体的、感情的な感覚は、ボイセンにとって重要なものです。彼女は五感をデザイン体験の重要な要素として扱い、その結果人々や周囲との対話の中で調和のとれたデザインが生まれています。ボイセンは色と素材の専門家であり、そのスタイルと構成でデザイン界を驚かせ続けています。2020年、彼女はデザイン「ムーンセッター」で、デンマークのテレビで放映された「ネクスト・デンマーク・デザイン・クラシック」コンペで賞を受賞しました。この傑出したランプは、翌年にルイスポールセンと共同で発売されました。

1945年生まれのアヌ・モザーはスウェーデン人の陶芸家で、世界各地で作品展を開催していますが、古い陶器の修復作業を指導する専門家でもあります。

アーネ・ヤコブセンはアーキテクトとしての強い決定力を行使し、建物自体のみならず、ディテイルの大部分のデザインに彼の意思を貫きとおしました。長年にわたり、彼は自らの建築プロジェクトのための照明器具、家具、カトラリー、ドア・ハンドル、バスルーム金物、ファブリック、そして壁紙パターンにいたるすべてを手がけました。 デンマーク内外で栄誉ある賞をいくつも受賞し、王立芸術アカデミーで11年間教授を務めたヤコブセンのデンマーク建築界全体に与えた影響ははかり知れず、彼のもとからは次世代のアーキテクトが次々と巣立ち、それぞれが独自の合理的・ミニマリスティックな建築手法を発展させています。

atelier oï は、1991 年にスイスのラ・ヌーヴヴィルで、Aurel Aebi、Armand Louis、Patrick Reymond によって設立されました。
アトリエ オイは、27 年間にわたり、ジャンル間の壁をなくし、分野を超えた創造性を育むことに努めてきました。その業績を通じて、建築、デザイン、舞台デザインが国際的に融合してきました。学際性、チーム スピリット、素材への親密なアプローチが、彼らのモットーです。さまざまな素材を形づくるという行為に対する直感的かつ感情的な親和性から生まれた彼らのプロジェクトは、世界中で高く評価されています。
実験、文化交流、そして作品に捧げられたイベントの合間に、彼らは Alias、Artemide、B&B Italia、Bulgari、Chopard、Desalto、Foscarini、Louis Vuitton、Moroso、Nespresso、Parachilna、Passoni、Pringle of Scotland、Rimowa、Röthlisberger、USM、Victorinox、Zanotta など数多くのブランドのデザインを手がけています。

B

ベンジャミン・ヒューバートは、工業デザイナー、研究者、エンジニアのトップランナーとして、日頃から使用している素材の新しい利用方法について、飽くなき挑戦を続けています。人間の行動を分析して、ユーザーとそれを取り巻く環境に有用な製品の開発に取り組み、機能的と言うだけでなく、視覚的にも魅力的な製品の開発を行うため、常に新しいアプローチを追い求めており、その結果として、家具、照明、消費財、建築設備など多岐に亘るインテリア・デザインの分野で数々の賞を受賞しています。ヒューバートは、「新しい製品が世界中で広く使われる為には、その製品が社会に具体的なメリットが提示できるか否か、そしてそのメリットが既存の製品を超えることが必要だ」と考えています。スピニングBH2ペンダントランプは、昔から子供向け玩具として親しまれてきた「コマ」のカタチからインスピレーションを受け、その形を成形する為に、一般的なアルミニウムの絞り成型技術を取り入れています。多灯数の場合は、シェードの下端を揃えて、またはランダムに吊るすことで様々な表現が可能となり、シンプルなデザインでありながらも、機能性の美しいバランスを体現した作品です。シェードの柔らかな曲線は、それ自体が周りに強く主張することはありませんが、あらゆる空間に優美なアクセントを与える存在感を放ちます。

ベント・カールビーは、20 世紀デンマークで最も生産的で多才な照明デザイナーの 1 人として今日広く知られています。彼は 1940 年代に LYFA とのコラボレーションを開始し、それは 40 年近く続くパートナーシップとなりました。ベント・カールビーは、柔らかな光、有機的な形状、特徴的なのぞき穴で知られています。カールビーは、キャリアを通じて、円錐、円筒、弧などの純粋な幾何学的形状と遊び心のある色彩へと傾倒していきました。同時代の多くのデザイナーとは異なり、ベント・カールビーはスタジオでスタッフを雇うことはありませんでした。彼は自分のやり方で物事をやり遂げることを望み、妥協を許さない労働倫理で知られていました。

BIG は、コペンハーゲンとニューヨークにオフィスを構え、建築、都市計画、研究開発の分野で活動する建築家、デザイナー、思想家のグループです。BIG は、プログラム的にも技術的にも革新的であると同時にコストとリソースを意識した建物を完成させることで定評があります。私たちの建築制作では、場所、文脈、プログラムの特定の要求に対して高い感受性を発揮します。BIG が最近完成させたプロジェクトには、デンマーク海洋博物館 (2013)、スーパーキレン (2012)、8 ハウス (2010) のほか、最初のプロジェクトであるコペンハーゲン ハーバー バス (2003) があります。これは、荒廃した港湾地区を市のレクリエーションと社交の中心地へと変貌させた都市空間です。現在建設中のプロジェクトには、マンハッタンの 750 ユニットの住宅ビル West 57th、バンクーバーのバンクーバー ハウス タワー、デンマークのレゴ ブランド ハウス、フェロー諸島教育センター、中国の深セン エネルギー マンションなどがあります。コペンハーゲンにはスキー場としても利用される廃棄物発電施設も建設される。

C

トーステン・ソーラップ(1944年-)とクラウス・ボンデラップ(1943年-)は、ともに1969年にデンマーク王立芸術アカデミーの建築学部を卒業し、その後コペンハーゲンにあるデンマーク人建築家、ヘニング・ラーセンのスタジオで一緒に働くことになりました。2人はプロとしてチームを組み、キャリアの大半を共にしました。ジョージ・ジェンセンの時計や店内ディスプレイ、フィンランドのアルクティクム美術館、エルシノアの港湾地区など、都市計画からチケット売り場まで、あらゆるデザインを手がけ、その長いキャリアを通じて、デンマーク内外の多くのクライアントにデザインを提供してきました。ソーラップ&ボンデラップの作品は、誠実でクラシックなシンプルさが特徴で、デザインの細部と品質に注意が払われており、それを1968年のセミ・ペンダントが証明しています。

ストックホルムに生まれたクララ・フォン・ツヴァイベルクは、ベックマン・スクール・オブ・デザイン(ストックホルム)とアート・センター・カレッジ・オブ・デザイン(パサデナ、米国)で、グラフィックデザインとイラストレーションを学びました。 クララはこれまでストックホルム、ロサンジェルス、ミラノの広告代理店やデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして仕事をしました。2人のパートナーと共同開設したリヴィエラン・デザイン・スタジオは、ファッション、イラストレーション、建築、家具、そしてグラフィックデザインの広い分野で成功を収めています。 現在、彼女はストックホルムに自身のデザインスタジオを持ち、紙、色彩、タイポグラフィーを使うグラフィックデザイン、あるいはデンマークのヘイ社などにはプロダクトデザイを提供しています。「スィルク」はルイスポールセン社とのコラボレーションから生まれたペンダント照明のシリーズで、これまでの彼女の経験と興味を結び合わせた製品と言うことができます。 ウォールペーパー・デザイン賞2012や、スウェー・デザイン賞2012など、クララ・フォン・ツヴァイベルクはいくつもの賞を得ています。<

D

E

1969年、英国生まれ。1997年より活動を開始。
“Edward Barber & Jay Osgerbyの作品を流れる糸を見ていると、デザインの統一性・実在性・現代性と一体となった高度な一貫性と多様さが存在します。そこには一切の無駄が 存在しません。機能は、シンプルで直感的である方法でフォームを規定することが許されている一方、最も高度なテクノロジーによる自由な精神の実験によって 導かれてもいます。” (Lucy Bullivant 2006)。
過去10年に渡って、Edward Barber & Jay Osgerbyは、ヨーロッパ、アジア、北米および南米に本拠をおく企業のために、家具・照明・家庭用品・レストラン・ショップ・飲料品のボトル・電化製 品等、すべての物を創造する幅広い規範に基づいた仕事をしてきた。
Edward Barber & Jay OsgerbyはロンドンのThe Royal College of Artで共に建築を学び、1996年にBarber & Osgerbyを設立した。
ロンドンの西にあるTrellick Towerの彼らの事務所から、彼らはまず、1997年にIsokonの製造によるLoop Tableをデザインした。このテーブルは幅広く注目され、 Guilio Cappelliniの注意をひくことになった。 これは、有名なイタリアメーカーとの長く続く協力関係の始まりとなった。
彼らの初期の作品の多くが、板材の曲げおよび成型-これらは彼らの建築モデル作成の際頻繁に用いた白いカード紙に影響されているのだが-を多用している。
積層板とパースペックスが、CappelliniのためにデザインされたPilot Table(1999年)とStencil Screen(2000年)を開発する過程で使われた。
板状の積層板を、複雑で合成的なカーブを再組立する際生まれた、実験的なHula Stool(2001年)、the Shell Table(2002年、Compassod’ orノミネート作品)、そしてShell Chairは、より構造的な積層板の研究物です。
曲げを使用することは、人間の重さを支えることが可能でありながら、信じられないほど軽量なビーム構造を生み出した。
1999年、Levi’sがBarber & Osgerbyに、精巧な一連の’エンジニアジーンズ’の開発チームに参加するよう、働きかけてきた。Barber & Osgerbyは、世界中のすべてのLevi’s 9000を展示するショップの2種類のハンガーの製作を指揮した。
彼らがイングランド西海岸の大聖堂で使用する家具のデザインを任され、 Coca-Colaが開発している新しいドリンク剤‘Ipsei’用のボトルのデザインを依頼された2002年に、仕事への参画の仕方がより多様化した 。
これらの対照的なプロジェクトは、 手作業的で現場対応的な家具と、その一方、今日一日1200000本も生産されているペットボトルという両極のものをデザインできるEdwardとJayの柔軟さと能力を示している。
同年、彼らはCappellini製造の注文家具を使って、マンハッタンにStella McCartneyの最初のお店を完成させた。
2004年、Barber & Osgerbyは、UKで最も著名な実用装飾芸術の賞であるJerwood Applied Arts Prize for Furnitureを受賞した。このことは、イギリスの最も重要な現代建築であるDe La Warr Pavilionのための家具デザインへの参加に道を開くことになった。 この結果生まれたダイキャストアルミ製の椅子は現在、V&A Museum collectionに収められている。
2005年、Zero-In tableがイギリスのメーカーEstablished & Sonsによって発表された。このテーブルには、これまで家具産業において使われたことのなかった自動車産業の技術が使用されている。
同じ年の5月、Pantoneとの協力の下、Barber & Osgerbyはニューヨークの国際現代家具見本市の中央スペースをデザインした。現在、アイコン的なマルチカラーのFlight Stoolsは、側面にPantoneのレファレンスナンバーをシルクプリントして生産されている。
より最近、彼らはポートランドプレイスにあるRoyal Institute of British Architectsのエントランスロビーの家具デザインに関係しています。
彼らはまた、2006年6月にマイアミDesignBaselにてEstablished & Sonsと共同で‘未来のデザイナー’と名づけられた。
以来、Barber & OsgerbyはMagis, Authentics, Venini, Swarovski, Flos, Established & SonsそしてPanasonicのような主要な製造メーカーやクライアントのためにコレクションを開発しています。
Edward BarberとJay Osgerbyは両者とも、 主要なワークショップであるスイスのEcalやVitra Design Museumを含む数々のデザインイベントやデザインのスクールにてレクチャーを行っています。
Barber & Osgerbyの作品は、ロンドンのV&A Museum、ニューヨークのMetropolitan Museum of Art、そしてロンドンのDesign Museumを含む多くのパーマネントコレクションの中に見つけることが出来る。

エルネスト・ジスモンディはアルテミデ・グループの創設者でした。
サンレモ (IM) 1931/12/25 – ミラノ 2020/12/31
1957 年にミラノ工科大学で航空工学の学位を取得し、1959 年にはローマの専門工学学校でミサイル工学の学位を取得しました。
1960 年代初頭から照明器具の企画と製造に携わり、デザイナーのセルジオ・マッツァとともに、アルテミデ グループの原点となるスタジオ アルテミデ サスを設立しました。彼は国際的なデザイナーとして名声を博し、イタリアと世界のデザイン分野に大きな変革をもたらした前衛的な運動「メンフィス」に発明家の一人として参加し、グループのためにさまざまなヒット製品をデザインしました。
長年にわたり、彼の指導の下、アルテミデ グループは市場シェアを拡大​​し、国際的な影響力も拡大し、デザイン照明部門の主要企業の一つとなりました。その功績により、彼はキャリア功績に対するコンパッソ ドーロ賞 (1994 年) やヨーロッパ デザイン賞 (1997 年) など、重要な評価を獲得しました。
1964年から1984年まで、ミラノ工科大学でミサイル用ロケットエンジンの准教授を務めた。ADI(工業デザイン協会)の副会長を務め、ロンバルディア工業協会(Assolombarda)、Federmeccanica、Confindustria、ミラノの自治見本市庁、大学・研究省などで役職を歴任。また、教育省の任命によりフィレンツェのISIA(芸術産業/工業デザイン高等研究所)の教育科学委員会、COSMIT(ミラノ家具見本市組織委員会)の仲裁委員会、共和国大統領府の指名によりCNELのメンバーでもある。イタリア国内外で、デザインとその発展、照明に適用される省エネに関するワークショップを数多く開催し、議長を務めたり参加したりしている。
2008年、彼はアーンスト・アンド・ヤング賞のイノベーション部門「今年の起業家」を受賞し、イタリア共和国のジョルジョ・ナポリターノ大統領から産業界の重要人物に贈られるイタリアの勲章「カヴァリエーレ・デル・ラボロ」を授与されました。2009年には、アーンスト・アンド・ヤング賞のコミュニケーション部門「今年の起業家」を受賞しました。2018年には、生涯功績に対してコンパッソ・ドーロ賞を受賞し、審査員は次のように評しました。「航空宇宙エンジニア、大学講師、起業家。一言で言えば、多才な人物です。アルテミデの創設者である彼は、デザインプロセスをすぐに特徴的な要素として活用し、この長いプロセスの中で、国内外のデザイン界とのコラボレーションを奨励し、強化しています。デザインが文化的、経済的成長のための具体的な戦略的てことなり得ることの一貫した例であり、イタリアのデザインが国際レベルで優れた例となるように常に機能してきました。」

F

フォスター + パートナーズは、創設者兼会長のノーマン フォスターとパートナーシップ ボードが率いる、建築、エンジニアリング、デザインの国際的なスタジオです。1967 年に設立されたこの事務所は、デザインに対する統合的なアプローチを特徴としており、世界で最も複雑なプロジェクトのいくつかに取り組むために必要なリソースの深さを結集しています。彼らは常に、空港の規模であれドア ハンドルであれ、責任を持って適切にデザインする義務があるという信念に根ざし、デザイン プロセスの不可欠な部分として物作りに強い関心を抱いてきました。事務所は、建築と工業デザインを区別したことはありません。接触点、つまり触れるものは、より広いビジョンと同じくらい重要です。1980 年に設立された工業デザイン チームは、ドア ハンドルから風力タービン、万年筆からエグゼクティブ ジェットのキャビン、蛇口から海洋ヨットの装備まで、幅広い製品を開発してきました。多くの場合、製品は特定のプロジェクトに応じて設計されますが、製品の委託で顧客と直接協力したり、企業と協力して商業生産用の新製品を開発したりすることもあります。

G

ガムフラテーシは、デンマークの建築家スティーネ・ガムとイタリア人建築家エンリコ・フラテーシにより2006年に設立されました。二人は2004年、北イタリアのフェラーラ大学建築学部で出会い、その後デンマークのオーフス建築大学で共に学びました。コペンハーゲンのスタジオを拠点に活躍しています。素材と技術への実験的なアプローチを駆使し、伝統と革新を融合させたクリエイティブなデザインを生みだします。スティーネ・ガムとエンリコ・フラテーシは、デンマークのクラシックなデザインの伝統とクラフツマンシップ、そしてイタリアの知的でコンセプチュアルなアプローチといった、それぞれのバックグラウンドを大切にしています。伝統を理解し、積極的に表現していくことで、伝統をさらに発展させようとしています。こうしたクロスカルチャー的な母体から、二人は伝統への尊敬を込めつつ、ストーリーや象徴性を内包するユニークなデザインを、ミニマリズムという表現形式を通じて発表しています。

自動車会社のエンジニアとして活躍した後、サスペンションシステム開発を専門とする会社を設立。様々なタイプの自動車サスペンションの開発を行いながらも、他の分野にも応用できるメカニズムを研究する中で、彼はタスクランプという分野に惹かれていきます。
ワークショップにこもり、新しいランプの開発実験に没頭するカワーダインは、1932年の7月、ついに特許を取得。それはスプリングの特性を生かした全く新しいランプの仕組みで、人間の腕のように自在に曲げることができ、さらに思い通りのポジションをキープ出来るという画期的なものでした。
アームの動きに安定感をもたせるために重い鋳物のベースを用い、シェードは眩しさを抑えつつも特定のポイントの照射を可能にするフォルムを採用。このフォーカス照射によりその当時のランプと比べ少ないワット数のランプでありながら同じ明るさの確保を可能にしました。
当初、このランプは彼のサスペンションシステムの工場で働く職人達の手元の部品を照らすためのアイデアでしたが、すぐにオフィスや家庭で使うことにも適していることに気づきます。最終的なデザインを作り上げると彼の工場にスプリングを供給していたスプリングメーカーHerbert Terry & Sons にライセンス契約を持ちかけました。

その当時のHerbert Terry & Sonsは2代目のチャールズ・テリーが運営していましたが、自社の高い技術とノウハウを用いた新商品開発と事業拡大に感心があったチャールズは、すぐにカワーダインと契約を決めました。ランプの製造販売を始めるにあたり彼等はランプをEquipoise(均衡) という名前で登録申請しましたが、それはすでに使われていたため最終的に造語で ANGLEPOISE と名付けられました。
1934年、Herbert Terry & Sons よりANGLEPOISEの最初のモデルである4本スプリングの「1208」と「1209」の生産が始まるとすぐに商業的成功を収めます。工場をはじめ、病院、オフィスへとあらゆる場所でセールスを伸ばし、さらに1935年、一般消費者向けとしてよりシンプルでスタイリッシュな3本スプリング・3本アームの「1227」を発表しました。
1948年 61歳でカワーダインはその生涯を閉じますが、彼のデザインは現代もなお継承され多くの製品の技術的基礎となっています。

ミラノ工科大学で建築学を学んだ後、彼はすぐに照明デザインに注力するようになりました。光は彼の専門であり、そのあらゆる形態と表現において、彼は常に影、カメラアングル、露出の研究に至るまで、あらゆる細部に気を配ってきました。
彼はキャリアを通じて多くの重要な照明会社とコラボレーションし、展示会や美術館向けのインスタレーションを数多く制作してきました。
彼はミケーレ・デ・ルッキとともに、1989年にアルテミデのトロメオのデザインでコンパッソ・ドーロ賞を受賞。

1933年ボローニャ生まれのジャンカルロ・マッティオーリは、1950年代から60年代にかけて大成功を収めたイタリアのデザイナー、建築家、都市計画家、肖像画家、人間、知識人でした。美術高校に通っていたマッティオーリは、マスターから学んだペン画への情熱を育み続けました。フィレンツェで建築学を卒業し、1961年にピエルルイジ・チェルヴェッラッティ、ウンベルト・マカフェッリ、フランコ・モレッリ、ジャンパオロ・マッツカート、マリオ・ザッファニーニとともに都市建築家グループ「チッタ・ヌオーヴァ」を設立しました。
1965年、都市建築家グループ「チッタ・ヌオーヴァ」とともに、アルテミデとエディトリチェ・ドムスが照明オブジェクトとしてのランプを考案する新しい方法を発見しようとした「スタジオ アルテミデ・ドムス・ディ・ミラノ」のコンペに参加しました。
提出されたプロジェクトはクラゲの形にインスピレーションを得たランプで、マティオリとグループの専門家は電球を隠すことを目的とした器具を使用して、落ち着いた環境光を得るための新しい方法に取り組みました。
プロジェクトは成功し、ランプは 1967 年から Nesso という名前で生産されました。それはその後、当時の象徴的なアイコンとなり、ニューヨーク近代美術館 (MOMA) の永久コレクションに今も含まれているという事実が証明するように、長期にわたって繁栄しました。モダン クラシック
のデザイナーであるマティオリは、既成概念にとらわれない発想を決して控えませんでした。真の市民的情熱を持つ知識人であった彼は、1960 年代後半のボローニャ市の歴史的な都市計画の技術的著者でもありました。彼は当時の市会議員ジュゼッペ・カンポス・ヴェヌーティに雇われ、1999年まで技術事務所の従業員およびトップマネージャーとして途切れることなくそこに留まりました。彼は歴史的中心部の計画、丘陵地帯の計画、工業地区の計画、1985~86年のマスタープラン、新しい鉄道ジャンクションの計画に協力しました。

Gino Sarfattiは1912年ベニスに生まれ、ジェノバ大学で 航空・海軍関係の工学を学んだ。
1939年以来、彼は照明部門で働き出し、国内および国際的な照明の近代建築ムーブメントの指標となるArteluce社を設立しました。
30年におよび活動期間中、Gino Sarfatti は400を超える照明をデザインし、類型論、素材、生産技術、光源、テクニカル照明効果およびデザイン面について、技術革新の絶え間ざる研究を実施した。
その過程で、Gino SarfattiとArteluce社は54年と55年のCompasso d’Oroやミラノ・トリエンナーレの名誉証書を含む数多くの賞を受賞した。
Arteluce社はまた、50年代・60年代の多くの著名なイタリア人デザイナーの重要なフォーラムの場となった。以下の 方々がArteluce社といっしょに作業した。: F. Albini – F. Helg, C. Belgioioso – Peressuti – E. Rogers, G.F. Frattini, V. Vigano`, S. Asti, V. Latis, C. Santi, M. Vignelli, I. Parisi, U. Gregotti – L.Meneghetti – G. Stoppino, M. Huber Corso Matteotti にあった有名なArteluce社のショップは1951年M. Zanusoによって設計され、続く10年後、Via della Spigaにあったショップは生涯の友となるV. Vigano`によって設計されたものである。
Gino Sarfattiは1984年、Gravedonaにて他界した。

工業デザイナーである彼は、前世紀の重要なデザインと芸術の潮流全体に焦点を当て、それらに敏感であり、技術的であると同時に芸術的な製品をデザインしています。
彼は、取り組んでいるテーマに応じて、「形態は機能に従う」と「機能は形態に従う」の両方のアプローチを採用しており、重要な技術的背景を誇っています。実際、彼は12年間、ダイカストとプラスチック金型のシニアプロジェクト技術デザイナーを務め、Kawasaki、Ducati、Mercedes、Bonfiglioli、Sylber、Metalwork、Gaggia、Fini、Prisma、Tronconi、Artemideの機器と金型を設計しました。その後の14年間は、Mepra SpAでのホームデザイン業界の研究開発活動と並行して、Pandora Design、United-Pets、Bialea Industrie、Rak Porcelainとのハイテクステンレススチールとプラスチックの家庭用品のデザイナーとしてのコラボレーションを開始しました。
アルテミデのために、彼は2008年に「Pirce」(2008年グッドデザイン賞、2009年レッドドット賞、2010年IFデザイン賞)を、2011年に「Alcatraz」をデザインしました。彼は技術/開発コンサルタントとして、世界の主要なテクニカルライティンググループのいくつかとコラボレーションしました。彼のクリエイティブな考え方は、次の数行にまとめることができます。「照明器具には魂があり、物語を暗示し、多くの場合、明るい色と暗い色の組み合わせで作られた、詩の詩です。光は魅惑的な明るい音であり、美しく生き生きとしており、ダイナミックであると同時に、親密で優しいものです。私が取り組むプロジェクトでは、できる限り、その言語を引き継いでその性質を尊重し、解釈のための複数の鍵を提供しようと努めることが、その魔法の本質に近づく私の方法です。」

都市建築家グループ「チッタ・ヌオーヴァ」は、建築、そして都市デザインに従事することを決意した若い専門家の組合であり、地域社会に耳を傾け、協力するために、個人の創造者と見なされる建築家のイメージから意識的に離れていました。1960年代初頭にジャンカルロ・マッティオーリの主導によりボローニャで設立(および活動)されたグループには、ピエルルイジ・チェルヴェッラーティ、ウンベルト・マカフェッリ、フランコ・モレッリ、ジャンパオロ・マッツカート、マリオ・ザッファニーニ、そしてマッティオーリ自身が含まれていました。
1965年、グループはジャンカルロ・マッティオーリとともに、アルテミデとエディトリチェ・ドムスが立ち上げた「ミラノのアルテミデ・ドムス・スタジオ」のコンペに参加し、新しいランプ「ネッソ」のプロジェクトで優勝しました。そのイメージは当時を象徴するものであり、ニューヨーク近代美術館(MOMA)の展示の一部となっていることからもわかるように、長期にわたって成功を収めました。

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スタジオ Huub Ubbens では、純粋で時代を超越した製品のデザインに力を入れており、それが彼らの主な特徴となっています。長年にわたり、彼らはこのアプローチで、Panasonic、Castorama、Colosio-Arditi、BBB Italia、Innobiz、Artemide、3M、Danese Milano などの企業のために働いてきました。彼らの主なデザインインスピレーションは、ストリート人類学、トランスカルチュレーション、そして芸術の世界から来ています。
彼らは主に家具、照明、ウェルビーイングの分野で活動しています。彼らは製品デザイン、アートディレクション、照明デザインのサービスを提供し、コンセプトから制作までクライアントに同行します。
このスタジオは 2005 年にミラノで設立され、10 年前から南フランスのモンペリエを拠点としています。Huub Ubbens は 7 年間、ミラノを拠点とする照明会社 Artemide のデザイン部門の責任者を務めました。彼はアートディレクターとしてブランド Danese-Milano を指導しました。ダネーゼとアルテミデで働いていた間、フーブはヴィコ・マジストレッティ、ミケーレ・デ・ルッキ、深澤直人、ジェームズ・アーヴァイン、エンツォ・マーリなどのデザイナーとコラボレーションしました。
フーブは、イタリア、中国、フランスなどの国の大学やデザイン学校で、講演者およびデザイン教師として、自身の専門的な経験を伝えています。

ピーター・ビット(1916-1986)とオーラ・ミュルゴー・ニールセン(1907-1993)はコペンハーゲンに拠点を置くビット&ミュルゴーの創設者であり、デンマーク・ミッドセンチュリー・デザインのパイオニアです。シンプルなデザインで知られる二人は、シンプルで精緻なデザインスタイルを確立し時代を象徴する数多くの家具を手がけました。1950年に発表されたAXチェアの成功は、その後の二人のキャリアにとって大きな影響を与えました。その滑らかで引き締まったシルエットは、デンマーク・モダニズムのリーダーとしての地位を確立しただけでなく、集成材を使用することで大量生産が可能となり、世界中にマーケットを拡げることにつながりしました。当時、この先進的な生産方式が生み出されたことによって、古典的な職人技を活用しつつも、手頃な価格で美しい家具を作るという新しいムーブメントへの道を切り開きました。ビット&ミュルゴーの二人は、ともに優れた技術力を持ち合わせていました。オーラ・ミュルゴー・ニールセンはデンマーク王立芸術アカデミーでカーレ・クリントに師事して家具デザインを学び、ピーター・ビットはコペンハーゲンの美術工芸学校でキャビネット作りを学び、伝統的な職人技の知識を身につけました。現在、彼らの作品はMoMA、メルボルンのナショナルギャラリー、コペンハーゲンのデザインミュージアムで展示されています。

I

三宅一生は1970年に三宅デザインスタジオを設立し、1973年からパリでコレクションを発表し始めました。身体とそれを包む布の間に生まれる空間に対する三宅の探求は、常に一枚の布から始まり、進化してきました。機能的で多用途な「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」シリーズ(1993年~)や、一本の糸から連続した生地のロール、テクスチャー、衣服を作ることができる単一プロセスを導入した「A-POC」(A Piece of Cloth/ 1998年~)シリーズなど、三宅は常に未来とデザインの次の段階を見据えてきました。現在、三宅は、減少しつつある天然資源と環境に対処するための研究と素材開発の必要性を常に念頭に置き、物作りの新たな可能性を探求し、「再生」素材の特徴を発展させるために、リアリティラボと呼ばれる研究開発チームと協力しています。

J

2000年に自身のスタジオを設立したスペインのアーティスト兼デザイナー、ハイメ・アジョンは、これまでに家具、照明器具、ホームアクセサリー、ホテルのインテリア、小売店、陶器コレクション、靴、そして自身の時計コレクションなど、数え切れないほどのデザインを手がけてきました。世界中の著名な美術館に展示されたデザインは、アート、装飾、デザインの境界線を越え、現在、インテリア・デザインの最前線にいるデザイナーの一人と言えます。イタリア、スペイン、日本にオフィスを構えるアジョンは、職人技、精巧で緻密なデザイン・ディテールや遊び心への深い敬意を持ちつつ、新しく表現豊かなシルエット・デザインの探求に意欲を燃やしています。

1959年、ロンドンに生まれる。
1979年から85年まで、Kingston Polytechnic, ロンドンのThe Royal College of ArtそしてベルリンのHDKにてデザインの勉強をする。
1986年、ロンドンにてOffice for Designをオープンする。
1987年、カッセルのDocumenta 8のためにReuters1 News Centreをデザインする。
1988年、 Berlin, Cultural City of Europe Program の一環としてDAADギャラリーにて”Some new items for the house”を展示する。
1989年、ミラノのthe Istituto Europeo di Designにて “A world without words” の最初の視覚的なレクチャーを行う。
1992年、FSBのためにデザインしたシリーズ1144ドアハンドルがBundespreis Produkt DesignとiF “Top Ten” Prizeを受賞する。
1993年、James Irvineとの共作によるConcept for Cappellini’s “Progetto Oggetto”と”The House of Cappellini”がミラノのLa Fabrica del Vaporeにて展示される。”Utilism International”と題して、Andreas BrandoliniとAxel Kufusとともに数々の公共空間プロジェクトを発表する。
1994年、ベルリンにてInterieur -94の名誉ゲストとなると同時に、単独の展示を行う。
1995年、ボルドーの”Arc en Reve” Centre D1Architectureにて単独の展示を行う。
1996年、”Lima”チェアと”Bottle”ボトルラックがニューヨークMOMAのパーマネントコレクションにはいる。
1997年、ハノーバーのトラムがiF Tansportation design prizeとiF Ecology Awardを受賞する。
1998年、”A world without words”がスイスのLars Mu¨ller Verlagより再出版される。
1999年、Micael YoungとMarc NewsonとともにRejkyavik Museum of Artにて展示会を行う。
パリのEditions Dis Voirより新しいモノグラフが出版される。1999年版”International Design year Book”の編集者となる。
東京アクシスギャラリーにて単独展示会を行う。

20世紀で最も影響力のあるデンマークの建築家の1人であるヨーン・ウッツォンは1960年代にシドニーオペラハウスを設計したことでよく知られています。印象的な建物で、ファサードはどの角度からも異なって見え、高さ60メートルのカーブを描いた構造物が花びらのように開いたシルエットが特徴です。 港に向かって、建築と表現力豊かな彫刻スタイルは、彼の有機的な概念を具現化したものです。ヨーン・ウッツォンは、マヤ、モロッコ、アジアの文化から培われた建築の伝統に魅了され、後に彼が「Additive Architecture(付加的な建築)」と呼んだものへとつながりました。ウッツォンランプJU1は、ウッツォンがオペラハウスを手掛ける10年以上前にデザインしたもので、その着想点は自身の父親が手掛けた海軍工学の設計図からインスピレーションを受けたと言われています。

K

Konstantin Grcicは1965年、ドイツのミュンヘンにて生まれる。
イギリスのParnham Collegeにてキャビネット作成の訓練をつんだあと、1988年から90年までロンドンのthe Royal College of Art にてデザインの勉強をした。
1991年、ミュンヘンにて彼自身のデザイン修練場となるKonstantin Grcic Industrial Design を設立して以来、彼はAuthentics, Cappellini Driade, Flos, iittala, SCPそしてWireworksのようなヨーロッパの主要デザイン会社のために家具、プロダクト、照明を開発した。
彼の作品の多くは主要なデザインアウォードを受賞した。FLOSによって製造されているMaydayランプはニューヨーク近代美術博物館のパーマネントコレクションに選ばれている。
1999年、彼はロンドンのCanary Wharf 内の公共広場造作のコンペに優勝した。
Konstantin Grcic Industrial Designは現在、FLOSのテクニカル照明システムやWhirlpoolのマイクロウェーブオーブン等数々の新しいプロジェクトに携わっている。

L

ルイーズ・キャンベルは1970年にコペンハーゲンで生まれました。デンマーク人の父と英国人の母を持ち、両親の2つの国で教育を受けました。1992年にロンドン・カレッジ・オヴ・ファーニチュアを卒業後デンマークに戻り、デンマーク・デザイン・スクールのインダストリアル・デザイン学科に進み、1995年に卒業。翌年自らのデザイン・スタジオを開設して独立、家具と照明を中心にデザイン活動をおこなってきましたが、最近は他のプロダクトやインテリアデザインにも活躍の場を広げています。 実験的で、遊び戯れるようなタッチを感じさせるキャンベルの作品は、日常のありきたりの生活用品に刺激を加味しているだけでなく、素材や製造プロセスにも新しい方向性を示しており、最近特に高く評価されています。 女性らしさ、スカンディナヴィアの合理主義的な側面、そしておそらく二つの国を母国として育った環境が、彼女のデザインに非凡な個性を刻印しており、キャンベルの作品には常に何らかのコントラストが感じられます。 キャンベルのデザイン・スタジオは、商業ベースからは少し離れた活動に意欲的なことでも知られています。展示会のキュレイターやデザイナーとしての仕事以外にも、デンマークのデザイン環境をより高めていくため、ルイーズ・キャンベルはさまざまな活動をおこなっています。30人の家具デザイナーと60社の家具メーカーが参加する "Walk the Plank" という7年以上続くコラボレーションもその一つです。 彼女のスタジオが標榜するデザインルールは次の3つで、つねにゼロから考える、反対のものが正しいと証明されるまではすべてが可能、どんな細かな決定にも正当な理由がなければならない、というものです。

ルイスポールセンのデザインチームは、ポール・ヘニングセンが最後に手掛けた街路灯で使用された、楕円形の反射板をもとにしてトルボーシリーズを開発しました。最初に発表されたのは、1982年の屋外照明シリーズ、トルボー 290です。その成功を受けて、次に屋内用ペンダントのトルボーグラスが発表されました。その後、金属製のペンダントが加わり、2019年にはよりサイズの大きい4つのモデルが登場しました。

ルイス・ワイスドルフ(1932-2021)はデンマークの建築家、工業デザイナーとして知られています。1954年にコペンハーゲンの王立デンマーク美術アカデミーを最年少で卒業した後、グラフィック、インテリア、建築、工業デザインなど幅広い分野で活躍しました。
ヴァイスドルフは自らを「多才のスペシャリスト」と表現しましたが、これは彼の天才的で注目すべきキャリアを要約したものです。
1961年から10年間、コペンハーゲンの遊園地チボリ公園で主任建築家サイモン・P・ヘニングセンのアシスタントを務めました。ここで 1964年、同心円状のスラットを垂直に吊り下げた斬新なコンキリー(法螺貝)ランプを制作。アルマイト加工を施したゴールドのこの照明は、ごく最近までチボリ公園中の木に吊り下げられていました。
その後、ヴァイスドルフは1967年にコペンハーゲンに自身の建築事務所を開設し、建築家のオーレ・パントン(ヴァーナー・パントンの弟)と共同で事務所を構えました。また、コペンハーゲンのthe Harbour and Canal Tourのチケット売り場なども設計しました。
彼はまた、光を導く方法として均一なスラットの探求を続け、特に1967年の球体ターボ・ペンダントはiFデザイン賞を受賞しました。彼は、あらゆる角度からの電球の直射光から目を遮ると同時に、スラットの色や位置によって外観に大きな柔軟性をもたらす、連続形というシンプルなデザイン原理に魅了されました。後者は、彼がポール・ヘニングセンからキャリアを通じて採用した原理です。
ヴァイスドルフがマルチライトの図面を描いたのは1972年でした。このランプ・コレクションは、ワイスドルフの情熱を反映し、光を変えられるように使う人をデザイン・プロセスに参加させ、よりダイナミックなデザインを提供しています。シェードを調整するだけで、ランプは変化します。光を上へ、下へ、あるいは左右非対称に向けることができます。
 今日、ヴァイスドルフは世界的に有名なデザイナーとして、そのランプはコレクターズアイテムとして人気があり、GUBIのためのマルチライトはラグジュアリーブランドのブティックでも目にすることができます。

M

1960年生まれのデンマーク人、マッス・オドゴーは、インターナショナルな視野をもった新世代のデザイナーです。足すよりも引くことを良しとするミニマリストとして、「less is more」 を実践し、長い時間を持ちこたえる製品とするには、優れたデザインはロジカル、機能的でなくてはならない、と考えています。

Marcel Wanders (1963)はオランダのBoxtelで育ち、1988年、Arnhem のthe School of the Artsを卒業した。
彼は現在、彼自身のスタジオであるMarcel Wanders studioをおくアムステルダムから活躍している独立した工業プロダクトデザイナーである。
“…FLOS社のb.l.o.は伝統的なろうそく状のスティックと電気的フレームのランプとのパロディーであり、それに吹きかけることによってつけたり消したりすることができる” (2001年8月、Nylonより)
MarcelはCappellini, Mandarina Duck, Magis, Droog Design、Moooi等々のために、多種多様な製品やプロジェクトの開発を継続している。彼はまた、企画部長としてもこれらのメーカーに参画している。
Marcelはまた、 彼が第二期のプロジェクトリーダーを務めたVitra Summer Workshop のように、他のデザイン関連のプロジェクトにも協賛している。また彼は、the Rotterdam Design Prize(そこで何度も彼の作品がノミネートされている)やthe Kho Liang Ie prize のような様々な賞の審査員でもある。彼はSFMoMAやLimn the Design Academyで講義を行い、オランダの様々なデザイン学校にて教鞭をふるっている。MarcelはKnotted ChairにてRotterdam Design Prize (公共部門)を獲得しthe George Nelson Award (Interiors magazine) やAlterpoint Design Award 2000のような他の賞を受けている。2001年、MarcelはWIRED magazine´s 2001の“その年のデザイナー”部門にノミネートされた。
Marcel Wandersのデザインはニューヨークおよびサンフランシスコ近代美術博物館やアムステルダムのthe Stedelijk Museum、ロッテルダムのMuseum Boijmans van Beuningen、ユトレヒトのthe Central Museum、そしてさまざまなDroog Designの展示会のような世界の最も重要なデザインコレクションや展示会にセレクトされてきた。
1999年に出版され、Den Boschの´t Kruithuis博物館での単独展示会にて提供された´Wanders Wonders, design for a new age´という本において、Knotted Chair からShadows lamps 、そしてNomad Carpet からEggvase までの最も重要なプロダクトが紹介されている。
Marcelの作品はすべての主要なデザイン雑誌にてとりあげられている。

ウルグアイのイタリア人家庭に生まれたフォーガルは、ヨーロッパと南米の芸術や工芸が融合した活気ある環境の中で育ちました。2001年にイタリアに移住したフォーガルは、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校とIUAVヴェネチア大学で学び、2015年にレティシア・デ・アレグリと共同で発表したコレクションがWallpaper* Design Awardを受賞しました。現在はロンドンを拠点に、ブラジルデザインのおおらかなフォルムと素材に、スカンジナビアデザインを融合させた作品を発表しています。

Matteo Thun & Partners は、ミラノに本社、上海に支社を持つ建築・デザインスタジオです。スタジオのデザインは、時代を超えたシンプルさからインスピレーションを受け、ヒューマンスケールを重視しています。1984 年に設立されたこの会社は、ホスピタリティ、ヘルスケア、住宅、オフィス、小売の各分野、製品デザインで国際的に事業を展開しています。70名の学際的な建築家、インテリア、製品、グラフィック デザイナーのチームを擁する Matteo Thun & Partners は、非常に複雑なプロジェクトの管理に重点を置き、ミクロからマクロまでの規模で作業を行っています。作業では、美観の耐久性、技術的な長寿命、建物と製品の将来の寿命を優先しています。プロジェクトの魂に対する深い敬意とクライアントの個性に対する繊細なアプローチは、Matteo Thun & Partners のすべての作業の鍵です。
ホスピタリティを専門とし、特に高級ホテル プロジェクトと特徴のある住宅に重点を置く Matteo Thun & Partners は、建築、インテリア、照明ソリューションを含むカスタマイズされたターンキー コンセプトを提供しています。ウェルビーイングもデザイン哲学の中核をなしています。これは、患者とその物理的環境との関係が主な関心事である医療プロジェクトで最も明確に表現されます。Matteo Thun & Partners の建築とインテリア デザインは、クライアント、場所、居住者、文化との継続的な対話の結果です。

2010 年以来、メルセデス ベンツのデザイナーは、クラシックな自動車デザインに加え、メルセデス ベンツ スタイルというラベルの下、厳選されたパートナーと協力して他の製品のデザインも手掛けています。その目的は、メルセデス ベンツの紛れもない先進的なデザイン表現と、高級感と美的魅力の高水準を、生活の他の領域にも伝えることです。メルセデス ベンツ スタイルがデザインしたすべての製品は、ブランドの特徴であるダイナミックで前衛的なデザイン、妥協のない品質、完璧に仕上げられた上質な素材の選択を誇ります。メルセデス ベンツ スタイルのポートフォリオには、モビリティ、ライフスタイル、スポーツ、インテリア デザインの分野の製品が含まれています。

Michael Anastassiadesは1994年、自身のロンドンデザインスタジオを設立した。
ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートとインペリアル・カレッジ・ロンドンで工業デザインと工学を学んだ(キプロス生まれのデザイナーの照明、鏡、および卓上オブジェは工業デザイン、彫刻および装飾美術に属している)。一見簡単そうに見えるものの、慎重を要する詳細なものであるため、それらは土木技師および工業デザイナーとしての彼のトレーニングを裏切る形となった。
Anastassiadesはとくに照明器具で有名であり、自身のスタジオへの依頼の80%が照明器具関連のものである。チューブなどのシンプルな幾何学的形状、長方形および球形と組み合わされた光沢のある表面が、建築空間を明確に表現している。彼は反射性材料(鏡面仕上げのガラスや、光沢のある青銅など)を使うことが多く、これにより自身の作品が周囲の空間と相互作用しながら見えなくなり、独立して浮いているかのようである。
建築事務所Studio Mumbaiとの提携以降(2006)、Anastassiadesはデイヴィット・チッパイフィールドやジョン・ポーソンなどの世界的に有名な建築家や、Studio Ilseなどのインテリアデザイナーとの仕事を増やしている。彼の照明は世界中のホテルやレストラン、店舗(グランドホテルストックホルムやソーホー・ハウスニューヨーク、セルジオ・ロッシブティックなど)で見ることができる。
世界中の個人を含むクライアントから依頼を受けている一方で、Anastassiadesはフセイン・チャラヤン(1997-8)、スワロフスキークリスタルパレス(2004)、ロブマイヤー(2012)やスヴィンスクテン(2013)などの世界の第一線で活躍する多くの有名デザイナーやメーカーとともに仕事をしている。今年、彼はFlos社製2種類の照明の発表を予定している。
ニューヨーク近代美術館、フランスのオルレアンにあるFRACセンター、およびロンドンのV&A ミュージアムとCrafts Councilで知られているように、彼のデザインはロンドンの現代芸術施設やデザイン・ミュージアム、サマセット・ハウス、サザビーズ、ジュネーブのMitterand + Cramerなどの世界的に有名なギャラリーや芸術組織で展示されている。これは‘Lit Lines’シリーズの照明器具(2011年にPalazzo Duriniで展示)と、Unlimited Collection の一部を成す‘Tree in the Moonlight’ランプ(2012)を制作しようというNilufarギャラリーの依頼により、ミラノの同ギャラリーで公開された。

他の注目すべき依頼はAghia Sophia Cathedral(2006)などからであり、最近では同ミュージアムの19th Geymullerschossel century buildingへの6ヵ月の“介入”におけるオースリアのMAKとの共同制作である。“Time and Again”ではAnastassiadesの機能を絞ったデザインが展示され、ここでは会場の壮大な家具に光の明暗が与えられ、訪問客を過去の世界にタイムスリップさせた。この展示はFIAMとの共同制作における彼の新しい4-Phase Mirrorsコレクションの発表にも影響している。彼の展示品は今、MAK常設展(2012)の一部となっている。

カルトコンセプトの店舗における彼の鏡の椅子とテーブルの展示を経て、パリのコレット(1998)でMichaelは、ニューヨークのMatter and Mossギャラリー、およびロンドンのLiberty’s(2010)、およびミラノのラ・リナシェンテ百貨店の‘デザインスーパーマーケット’で彼のデザインの販売を始めた。現在では香港のレーン・クロフォード、上海のDesign Republicという百貨店、およびロンドンのSigmar、マイアミのLuminaire、オーストラリアのSpaceなどのアウトレットを通して販売している。

永久に価値のあるオブジェを制作するため、2007年にMichaelは自身のデザインの無制限版を提供するために自身の名前で会社を設立した。各製品がハンドメイドであり、デザイナーの印が押され、彼の独創的な視点をそのまま反映させて製造されいる。形状の控えめなボキャブラリーは、彼がミニマリストであるものの、質が良いために彼の作品が非常に豪華かつ魅惑的であることを示唆しているのかもしれない。

Anastassiadesは最近、ロンドンで自身のショップをオープンさせ、新しい製品とコレクションを展示および発売するための理想的なプラットフォームを提供している。一つの場所にスタジオとショップ、ホームをまとめることにより、家庭環境で新しいアイデアと既存品の両方を眺めるという独特の経験をクライアントに与えている。

ミケーレ・デ・ルッキは1951年にフェラーラで生まれ、フィレンツェで建築学の学位を取得しました。
急進的で実験的な建築の時代に、彼はカヴァール、アルキミア、メンフィスなどの運動で著名な人物でした。
デ・ルッキは、アルテミデ、オリベッティ、エイリアス、ユニフォー、エルメス、アレッシィなど、イタリアとヨーロッパの最も有名な企業のためにランプや家具をデザインしてきました。
彼は世界中の大手国内および多国籍企業の建物の設計と修復、多数のアートとデザインの展示会、美術館の建物の設計、民間および公共のクライアント向けの多くの建築プロジェクトを手掛けました。最近では、ミラノ市のいくつかのプロジェクトを実現しました。2015年万博のパビリオン(パディリオーネゼロ、エキスポセンター、インテーザサンパオロ)とガエアウレンティ広場のウニクレジットパビリオンです。
彼の専門的な仕事は常に、デザイン、テクノロジー、工芸の個人的な探求と並行して行われてきました。
2000年に、デザインと建築への貢献により、チャンピ大統領からイタリア共和国の役員に任命されました。2001年に、ヴェネツィア大学のデザインとアート学部の教授に任命され、2008年にはミラノ工科大学のデザイン学部の教授に任命されました。

N

1956年山梨県生まれ。1980年多摩美術大学プロダクトデザイン科を卒業。同年セイコーエプソン入社、先行開発デザインを担当。1989年渡米、ID Two(現IDEOサンフランシスコ)に入社し、7年間デザインを磨く。1996年帰国、IDEO東京支社設立、代表。2003年NAOTO FUKASAWA DESIGN設立。現在、国内外の
トップブランドのデザインを多数手がける。精密電子機器から家具、室内空間まで領域は多岐にわたる。
近年のイサム・ノグチ賞受賞により、深澤のデザインは静寂の力を伴う崇高な造形美であることが改めて認識され、デザインのみならず、ものの本質を捉える力とデザインへの思いや表現が世界的に評価されている。
多摩美術大学統合デザイン学科教授。
無印良品デザインアドバイザリーボード、マルニチニチソウアートディレクターも務める。2006年ジャスパー・モリソンと「スーパーノーマル」を設立。2010年から2014年グッドデザイン賞委員長。2012年ブラウン賞審査委員。2017年ロエベクラフトプライズ審査委員。ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツよりロイヤルデザイナー・フォー・インダストリーの称号を授与される。

佐藤オオキは2002年にデザイン事務所 nendo を設立しました。nendoとは日本語の“粘土”、さらには工作用粘土など模型製作材料を指し、クリエイティヴなモデリングを可能にする比類ないマテリアルです。「この名前は、多くの異なったクライアントのためにデザインを提供するスタジオに相応しい言葉です」と、佐藤オオキは説明します。 Form follows function (形態は機能に従う)という主張を掲げる他の多くの著名デザイナーとは異なる見方で、佐藤オオキはデザインをとらえます。彼は、プロダクトとそのデザインの背後にある歴史をみつめるのです。 彼の表現はミニマリスト的ですが、その中には、即座に記憶を呼び起こす小さな記号やディテールが含まれています。また、初めて目にした時からデザインが心地よく感じられるように、ソフトでフレンドリーな形を採用しています。

2004 年にパートナーの Lyndon Neri と Rossana Hu によって設立された Neri&Hu Design and Research Office は、上海 (中国) を拠点とし、英国ロンドンにもオフィスを構える学際的な建築デザイン事務所です。Neri&Hu は、建築、インテリア、マスター プランニング、グラフィック、製品デザインのサービスを国際的に提供しています。現在多くの国でプロジェクトに取り組んでいる Neri&Hu は、30 を超える言語を話す多文化のスタッフで構成されています。チームの多様性は、建築の新しいパラダイムのために重複するデザイン分野を組み込んだグローバルな世界観に対応するという事務所の核となるビジョンを強化しています。Neri&Hu は、各プロジェクトが独自の文脈的問題を抱えているため、デザイン ツールとしてリサーチを強く信じています。プログラム、場所、機能、歴史の特殊性を批判的に調査することは、厳密なデザイン作品の作成に不可欠です。リサーチに基づいて、Neri&Hu は、定型的なスタイルに従うのではなく、経験、詳細、材料、形状、光の動的な相互作用に作品を固定したいと考えています。各プロジェクトの背後にある究極の意義は、建築物がその物理的な表現を通じてどのように意味を生み出すかにあります。Neri&Hu とそのデザインは、数々の権威ある国際デザイン賞で認められています。Maison&Objet は彼らを「2015 年アジア デザイナー オブ ザ イヤー」に選出し、UK Wallpaper* は創設パートナーの Lyndon Neri と Rossana Hu を「2014 年デザイナー オブ ザ イヤー」に選出しました。また、彼らは中華圏を形作る「40 歳未満」の最も著名なデザイナー 40 人に選ばれました。

デンマーク王立芸術アカデミー建築学部を卒業した3人(Jonas Bjerre-Poulsen, Kasper Rønn, Linda Korndal)によって2008年に設立されたNorm Architectsは、建築、インテリア、写真、そしてブランディングやアートディレクションを中心とした多分野のデザインスタジオです。受賞歴のあるこの事務所のポートフォリオにはnorm(常識、規範)に挑戦することに根ざした信念が反映されています。生命力、光、独特の雰囲気にあふれた空間。手触りの良い天然素材など。丁寧に作られたデザインは、シンプルで、長きにわたって心に響くものばかりです。

O

profile-デンマーク人デザイナー、オイヴィン・スロット(1978-)は、シンプルで詩的なデザイン・ソリューションで知られ、今後ますますの活躍が期待されています。彼にとって、自然は最も重要なインスピレーションの源です。同時に、合理性、論理性、調和といった特性をデザインに反映させようと努めています。 オイヴィンはデンマーク・デザイン・スクールで修士号を取得しましたが、その前にデンマーク王立音楽アカデミーで音楽を学んでおり、彼のデザイン・プロセスへのアプローチには音楽的明晰さが浸透しています。 彼は、「完璧は練習から生まれる」と理解し、彼のデザイン・ソリューションをより洗練させようとしています。わたしのデザインは、シンプルで軽快なものとしてひとびとに経験される、ひとつの音楽作品のようでありたい - 彼はそう語っています。 これまで、スピーカーや自動車、家具、照明まで、多岐にわたるデザインを手掛けています。もともと光に親近感を感じ、光と雰囲気のより洗練された関係を作りだそうとするオイヴィンにとって、照明器具の開発は特別な分野であり、大いなる情熱を傾けています。text.

P

1941年ミラノ生まれ。1965年にミラノ工科大学建築学科を卒業し、自身のスタジオをミラノに設立。
建築、インテリア、デザイン、照明、教育などの分野でフリーランスとして活動。特に照明のデザインを得意とし、1978年、リッカルド・サルファッティ(Riccardo Sarfatti)とともに Luceplan を設立。
その他 Artemide、Cassina、Danese、Driade、Flos、kartell、Knoll, Lensvelt、Molteni、Montina、Philips, Poltrona Frau、Thonet など世界的なブランドで照明デザインの他、建築や家具プロダクトを手掛け数多くの賞を受賞。

彼の作品は、ロンドンの建築協会、ミラノのトリエンナーレディミラノ美術館、ニューヨーク近代美術館、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館など、世界の有名美術館・博物館のコレクションにも収められている。​​​​​​​

1961年、スペインのオビエド生まれ、ミラノ在住。 マドリッド工科大学卒業後、ミラノ工科大学にてAchille Castiglioniに師事し1989年に卒業。1990年から1992年まで、ミラノ工科大学とパリのE.N.S.C.I.にてAchille CastiglioniおよびEugenio Bettinelliのアシスタント講師を務める。1990年から1996年の間、DePadovaの新商品開発の責任者となり、 Vico Magistrettiとともに、“Flower”, “Loom Sofa”, “Chaise Longue”などを開発。
1993年から96年まで、建築家RenzioとRamerinoと共同で事務所を設立。ショールーム、レストランおよびフランチャイジングの建築デザインに従事。
1996年、Lissoni Associatiデザイングループの主任になり、 Antares-Flos, Cappellini, Cassinaなどのプロジェクトに関わる。
2001年、プロダクトデザイン、建築、インスタレーションおよびコンセプトワークを行う自身のスタジオを設立。以下のメー カーのためにデザインを提供している、Agape, Alessi, Artelano, Axor, B&B Italia, Bart Design, Biscazza, Bosa, De Padova, De Vecchi, Driade, Fasem, Flos, Foscarini, Gandia Blasco, Gallotti & Radice, Kartell, Kettal, Liv’it, MDF Italia, Moroso, Molteni, Paola Lenti, Rosenthal, San Lorenzo, Tronconi, Viccarbe.

Starckは、彼の子供時代を父親の製図盤の下でバイクや自転車や他のものたちを縫い、切り、接着し、擦り、解体することで過ごしたと述懐している。
終わりのない時間の中で、手許にあるものはなんであれ解体し、再生することにすべての時間が費やされたと。
幾年といくつかのプロトタイプ製作ののち、イタリア人は自らの家具の製作において彼を責任者に据え、ミッテラン大統領は彼に自らのエリゼ宮での生活の変化 を依頼し、the Cafe´ CostesはLe Cafe´に変わり、ニューヨークのRoyalton and Paramountをホテル界のニュークラッシクスタンダードに変え、建築ツアーのため日本に散策し、それらが彼を表現主義建築家の主要な提唱者にした。
彼の環境や人類に対する尊敬は、彼がパリのEcole Nationale Supe´rieure des Arts De´coratifs や、ボルドー空港の管制塔、パリの都心エリアにおける廃棄物リサイクル施設の設計を依頼されたことで、フランス国内でも認知されている。
海外において、彼は世界中の主要都市の伝統や文化を改革し続けている。その例として、香港Peninsula Hotel レストランのデコレーション、メキシコのTeatron 、マイアミのDelano ホテル、ロスのMondrian 、ニューヨークのthe Asia de Cuba レストラン、ロンドンおよびその他のエリアにて進行中のプロジェクトの一群である。
彼の才能は彼の関心物を即座に魅力的で喜びのある高貴な品物に変えてしまうということであろう。
今日の世界における、正直で熱心な市民として、孤独ではあるが手袋のようにフィットするより良い世界の破壊的ビジョンを我々と共有することが義務だと彼は考えている。
彼は疲れることなく我々の日常生活の現実性を変化させ、人類のルーツと最も深い源泉を彼の変化に昇華させている。彼は Be´neteau の海の重要な精神を掴み、歯ブラシを高貴なオブジェに変え、レモンを“wrong”な方法でスクイーズし、TVでさえより楽しいものに変え、トムソンの電 子的な世界に感情的なスタイルをもたらしている。彼はまた、我々のパスタ、灰皿、ランプ、歯ブラシ、ドアハンドル、食卓用金物、ろうそく、やかん、ナイ フ、花瓶、時計、スクーター、バイク、デスク、ベッド、金具、洗面用具、トイレ用具、つまりは我々の生活全体を変えるために時間を使っている。
彼は現在、衣服、下着、靴、眼鏡、時計、食べ物、トイレ用具、等々、より人の体に近いもののデザインにますます魅力を感じているが、それは彼のデザインが 今後も変わることなく、自然と人類の未来を尊重していくことに他ならない。

1913年生まれ。
1937年に兄Livioとともに、“建築デザイン、都市建築、工業デザインの研究”を開設。1952年Livioの死後、弟のAchilleが1944年より参加。
1937年にミラノ工科大学建築学科を卒業。
ミラノ都市計画に対する訴状“将来のミラノにおける50の重要な広場”を1938年に建築家Carlo Paganiと共同執筆。
ミラノにおける建築大学教授。建築家協会理事、ミラノ市議会委員。
1964年第13回トリエンナーレの実行委員会メンバー。彼は1940年以降、ミラノ・トリエンナーレに毎回出展し、多くの賞を受賞。後半では “余暇、生活時間”に基づいて, Pier Giacomo Castiglioniは実行委員会メンバーとなる。
1956年、1957年そして1958年の”Compassod’ Oro”、La Triennale 、Formica-Domusコンペティション、Abitare-De Padovaコンクール、International Cantu Furniture Competitionなど、数多くの審査員を務めた。
Montecatini、RAI、ENI、Triennale di Milano、Mostre Esposizioni Torino、 “Italia61″、AGIPなど、国内外の各機関や主要企業の展示会のキュレーターとしても活躍。 Pier Giacomo Castiglioniは、1955年, 1960年, 1962年, 1964年, 1967年, 1979年に”Compasso d’Oroを含む数多くの賞を受賞した。
1968年逝去。
彼の作品は現在、Museum of Modern Art New York (現在22点), Royal Institute of British Architects (London) Musee des Arts Decoratifs (Paris), Palais du Centenaire (Brussels), Modern Art Museum, Sao Paulo (Brazil), Prima Esposicion de disegno industrial di Buenos Aires (Argentina)などに展示されている。

有名なイタリアの建築家Piero Lissoniは、工業デザイン・グラフィック・アート指導から、ホテル・個人邸・ショールーム・店舗・ヨットのような建築や内装プロジェクトにわたる、 あらゆるデザイン活動において活躍しています。Lissoniは、控えめなスタイルを促進しています;大きな寛大さと魅惑的なエレガンスさは、 Lissoni が全世界のトップブランドに授けているトレードマークである。彼はしばしばミニマリストとして考えられているが、実のところPiero Lissoni の目的は、異なったスタイルの相互作用的同一性を創造することである。
ミラノのPolytechnicで建築学の課程を修了した後、LissoniはパートナーのNicoletta Canesiといっしょに1986年Lissoni Associatiを、1996年Graph.xを設立しました。
その時から彼はBoffiと協力し、企業イメージの開発・世界中のショールームデザイン・バスルームおよびキッチンデザイン の再構築を行っています。“Esprit”と“WK6”はそれぞれ、1991年と2001年にCompasso d’Oroに選定され、“Table System”は2006年のエル・デコ・インターナショナルのベストキッチンアワードを受賞しました。
現在の時点において、建築家とグラフィックおよび工業デザイナーからなる約70名のチームを含む、ミラノのLissoni AssociatiとGraph-Xは、以下にあげる最も著名な会社とプロジェクトを推進中です:Alessi、Artelano、Boffi、 Cappellini、Cassina、Flos/Antares、Fritz Hansen、Glas Italia、Kartell、Knoll International、Living Divani、Poltrona Frau、Porro、Tecno。
Piero LissoniはBoffi、Lema、Living Divani、PorroそしてTecnoのクリエイティブディレクターであり、それらの会社のデザイン関連のすべての要素に目を配っています。
ファッション業界への浸透は、アメリカのファッションデザイナーElie Tahari のためのショップおよび企業イメージが含まれ、さらにBenetton、Santandreaテイラー、Frutta/Indian Roseのようなイタリアのブランドとのコラボレーションがあげられます。
最近の事例としては、コモ近くのプライベートヴィラ(2005年)、“Monaco & Grand Canal”ホテル(2002-2004年)の改装および内装、そしてベニスの“Bacaro”バー&レストラン(2003年)、イスタンブール の“Bentley”デザインホテル(2002年)、チューリッヒ湖の“Al Porto”デザインホテル(2001年)、そして東京の“三井ガーデン”ホテル(2006年)が含まれています。
Luca Brentaヨットデザインとの協力の下、Lissoniはニューヨークのアートディーラー所有のヨット“Ghost”の内装を手がけました(2004 年)。2007年夏、Luciano Benettonのためにデザインしたモーターヨット“Tribu`”が進水しました。
さらに2007年、Boffi、Living DivaniそしてPorroとコマーシャルベースのパートナーシップを結んでおり、ホームユースの内装のための完璧なシステムを提供することを目的とし たBYのニューヨークの最初のショールームを完成させ、さらにミュンヘン、リヨン、ロサンジェルス、ロンドンそして、他のいくつかの主要都市での展開がそ の後に続きました。
彼の内装に関わるプロジェクトには、ミラノ、モンテカルロ、モスクワ、モンザ、パルマ、テルアビブ、東京にあるプライベート 空間と、ドリーニ通り15にあるPorroのショールーム、パリのCassinaショールームおよび日本のいくつかのCassina IXCショールーム、La Rinascenteのミラノ事務所(2006年)、Tecnoの本社およびショールーム(2006年)、ベニスのパストリーZaninのショップ (2006年)、Living Divaniの工場およびショールーム(2007年)のような公共空間の双方とも、彼のシンプルさと細心な注意が反映されています。
進行中のプロジェクトには、Mandarinホテルといっしょにてがけているカリブ海のプライベートアイランドDellis Cayの豪華リゾートや一般住居および大きなヴィラが含まれます。
インテリア建築としては、マイアミのShangri-Laホテル&レジデンスや”Mamilla City Hotel”、エルサレムにある“Le Divellec”レストラン、Boffi、CassinaそしてGlas Italiaの工場およびオフィスの再デザイン、ミラノ国立劇場の拡張および補修があげられます。
Piero Lissoniは、多くの専門的な認知を受けてきました:2005年11月、ニューヨークにあるインテリアデザインの栄誉の殿堂に仲間入りし、2000年 -2002年-2006年に、シカゴ図書建築博物館のグッドデザイン賞を勝ち取り、2006年には、ヨットの“Ghost”でワールドスーパーヨット賞の その年のニューデザイナーに、ケルンの国際見本市IMMにおいてベストオブザベストに指名されました。

>Poul Henningsenは、1894年にコペンハーゲンで生まれ、デンマークの作家Agnes HenningsenとCarl Ewaldの息子です。彼はここ数年、伝統的な機能主義建築の練習を始めましたが、彼のプロとしての関心は最も有名な照明に重点を置いたものへとシフトしました。また、自分の職業分野を書く分野に拡大し、ジャーナリストや著者になりました。 第二次世界大戦初頭の短期間、コペンハーゲンの Henningsen チボリ公園の建築主任を務めました。しかし、他の多くのクリエイティブな人々と同様に、彼はドイツの占領中にデンマークから逃れることを余儀なくされ、すぐにスウェーデンに住むデンマークの芸術家達の重要な部分となりました。

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イッセイ ミヤケと、菊池学(テキスタイル エンジニア)と山本幸子(テクニカル エンジニア)の 2 名のスタッフが率いる研究開発チーム。若手デザイナーやパターン エンジニアのグループで構成されています。2007 年に結成されました。コラボレーションとチームワークを原則とするチームです。素材や技術の研究開発を通じて、衣服から工業製品まで、ものづくりの未来を探ることを目的としています。常に人々のニーズを反映した製品を作り、日本のクリエイティブな生産を刺激する新しい方法を見つけようとしています。"

サッパー(1932年 - 2015年)は、シュトゥットガルトのメルセデスベンツのスタイリング部門でデザイナーとしてのキャリアをスタートし、1958年にミラノに移り、建築家ジオ・ポンティと「ラ・リナシェンテ」のデザイン部門で働きました。1960年代初頭、サッパーはイタリア人建築家マルコ・ザヌーゾとのコラボレーションを始めました。彫刻的なミニマリズムの美学で知られる彼らは、ブリオンヴェガのテレビやラジオのシリーズ、カルテルの軽量スタッキング子供用椅子K1340、シーメンス/イタルテルのコンパクトな折りたたみ式グリロ電話を開発しました。
1959年に自身の独立したスタジオを設立すると、サッパーはロレンツのためにスタティック クロックをデザインし、1960年に最初のコンパッソ ドーロ賞を受賞しました。サッパーは、1972年にアルテミデのためにデザインしたティツィオ ランプなど、デザインの古典を作り続けました。このランプは、配線が不要な低電圧電流伝導アームを備えたハロゲン電球を使用した最初のデスク ランプの 1 つでした。その本質的で直線的な形状とダイナミックな機能性により、ティツィオはすぐにアイコンとなり、真のデザインの傑作となりました。これは今日まで最も売れているランプの 1 つであり、ニューヨーク近代美術館のパーマネント デザイン コレクションに含まれています。
リチャード サッパーは、彼の製品で数多くの賞を受賞しており、彼のデザインは世界中の多くの美術館のパーマネント コレクションに展示されています。2012年、サッパーはドイツ連邦共和国大統領から功労勲章のメリット クロスを受賞しました。 2014年、Associazione Design Industriale ADIよりコンパッソ・ドーロ生涯功労賞を受賞。

1972年テルアビブ生まれ。ニューヨークで活動後、テルアビブとミラノを拠点に活動中。
Ron Giladによるハイブリッドなオブジェクトは、抽象と機能の間で明瞭に形作られた境界線上で、実用的な特質と美的な遊びを融合している。
彼は日常生活で一般的に使われるオブジェについて思索することを好んでいる。
彼の作品は、一回限りのものから、限定バージョン、定番品など多様であり、世界中のパブリックおよびプライベート双方のコレクションに存在している。
彼は3次元フォーマットで絶え間なく問いかけ、製造業者が想像力に富んだ疑問の領域を創出するものを答えてくる。例えていうと、Ron Giladは言葉に堪能であり、彼自身の言語をつくりだしている。

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サミュエル・ウィルキンソンは数々の賞を受賞した後、2008年にインダストリルデザインスタジオを開設しました。Ravensboure College of Art & Designを卒業後、ロンドンを拠点にブリティッシュ・エアウェイズ、アウディ、LG、サムソン、Virgin Atlanticなどのデザイン・コンサルティングを経て、家具と工業デザインの分野に進みました。彼の作品は、MoMA、クーパーヒューイット、ヴィクトリア&アルバート美術館のパーマネント・コレクションに作品が収蔵されています。ウィルキンソンは、フォルムと機能のどちらにも新鮮でダイナミックなアプローチを加えることを追求しています。「Blown」では、灯台や鏡面ボトルなどのガラス素材と果物のラズベリーのシルエットから着想を得て、キルティングの質感をガラスで表現しました。またラウンジテーブル「The Hoof」は、創造的なプロセスを逆から発想したシリーズです。馬の蹄を削ってから馬具にするように足の先端を研ぐところから発想しました。

伝説的なデンマークの建築家で照明デザイナーであるポール・ヘニングセンの息子として、サイモン・P・ヘニングセンは幼い頃から照明について学んでいました。さまざまな種類の光だけでなく、それぞれがもたらす独特の品質についても学びました。2人はコペンハーゲンのチボリ公園のさまざまな設計作業で協力し、1948年にサイモンは父の後を継いでこの遊園地の主任建築家になりました。1962年、サイモン・P・ヘニングセンは、チボリの有名なレストランにちなんで名付けられた非常にユニークで見事なランプ、 DIVAN 2ペンダントを発表しました。このペンダントは後にデンマークと国際的にいくつかの賞を受賞しました。その後数年間、サイモン・P・ヘニングセンはLYFAとのコラボレーションを拡大し、象徴的なカサブランカとニッポンのペンダントに見られるように、劇場の光と色の効果を探求し続けました。今日、サイモン・P・ヘニングセンの作品は、独特の気まぐれで幾何学的な美学と、反射ときらめく表面の使用によって特徴付けられています。彼のユニークなデザインはコレクターアイテムとなり、今でも世界中で賞賛されています。

1929年ロンドン生まれ。1944年から1947年までの3年間、芸術と工芸のウィレスデン校にてデザインの基礎を学びました。兵役の一環としてテクニカルイラストレーションの訓練を受けた後、ロンドンの Arcon Chartered Architects、 Bronek Katz & Vaughan George Bower やJack Howe &. Partners などの建築デザイン事務所でアシスタントとして経験を積みました。

1958年、ロンドンに自身の事務所Kenneth Grange Design Ltd. を設立。
その14年後の1972年には、アラン・フレッチャー、コリン・フォーブス、マービン・カーランスキーと共にPentagramを設立。世界的デザイン事務所へと成長するPentagramは多分野に渡るデザイン集団であり、現在では20ものパートナー企業や支社から成り立っています。

彼のデザインはドイツ的機能主義と英国らしいほどよい感性を兼ね備え、剛性感と同時に彫刻のように明瞭なフォルムをもっています。

代表作であるケンウッドのフードミキサー "シェフ" シリーズ(1960年)、コダックの"ポケットインスタマチックカメラ"(1975年)、1979年にはパーカーの万年筆 "パーカー25" シリーズ(1979年)、ウィルキンソン・ソードのカミソリのシリーズ、名門オーディオメーカーB&WではDM6(1976年)、シグネチャーダイアモンド(2005年)をデザイン。
また英国国鉄の高速列車Inter City125の外装デザイン(1971年-1973年)や、ロンドンのAdshelのバス停(1990年)、ロンドンタクシーのモデルチェンジ(2000年)を手がけるなど彼のプロダクトは常に人々の日常性と深い関わりを持つものが多くあります。
デザイン協議会賞をはじめ1963年のエディンバラ公賞など、数多くのアワードを受賞し、1969年にはRoyal Designers for Industry(RDI)のメンバーに選ばれました。その10年後には英国デザインカウンシルのアドバイザーとなり、名実ともに英国プロダクトデザインの第一人者となりました。日本との関わり合いも深く、1970年以降、丸善のミシン、INAXの浴室、資生堂の化粧品パッケージなど、日本企業からの依頼も数多く手がけ、彼の作品は日本のプロダクトデザインにも大きな影響を与えました。

彼がデザインプロセスのなかで最も重視したのはマニファクチャリングです。それはプロダクトデザインは単なる美的な改良手段ではなく、常に技術革新へのアプローチであるということを示しており、「真率で誠実」というブリティッシュデザインの伝統的な特質を繊細かつ洗練されたデザインを今も守り続けています。

ソフィー・リファーは、照明があらゆるインテリア空間において、最も重要で強力な要素であるという信念を持っています。2003年にデンマークのデザインスクールを卒業後すぐに、コペンハーゲンを拠点とする照明デザイン・制作会社Refer+ Staerを設立し、パートナー兼クリエイティブディレクターを務めています。シンプルで合理的なデザインは数々の賞を受賞し、世界中のレストラン、ホテル、ナイトクラブ、市議会など、民間および商業部門で活躍しています。光と遊ぶ新しい方法を見つけるという情熱に突き動かされ、リファーは最新のテクノロジーを駆使し、北欧のシンプルさにラグジュアリー感を加えたデザインを創りだしています。

2005年にシグネ・ビンズレフ・ヘンリクセンとピーター・ボンゴール・リュッツオによって設立されたスペース・コペンハーゲンは、家具、照明の他に洗練されたオブジェからアートインスタレーション、アートディレクション、世界中の個人住宅やホテル、レストランの内装デザインまで様々な分野で活動しているデザインスタジオです。クラシックとモダン、インダストリアルとオーガニック、彫刻とミニマル、光と影など、相反するものをバランスよく取り入れ、常に新しい道を切り拓くことを目標としています。2人は直感的なアプローチで対象物をとらえ、与えられた状況、機能的なニーズ、そして人間の行動に対する基本的な興味によって明確に形作られるデザインの具現化を目指しています。また加えて品質や商品の丈夫さにもこだわりを持っています。

スヴェン・ミデルボーはビジネスの学位を持っていましたが、デザインを自分の道に選び、照明を専門としました。1940年代後半、彼は有名なデザイナーで建築家のヨーン・ウッツォンと共同で照明メーカーとして自分の会社を設立しました。2人のコラボレーションには、今では象徴的なサンダウナーが含まれています。1955年、スヴェン・ミデルボーはノルディスクソーラーカンパニーの社内デザイナーとして採用されました。彼は数十年にわたってランプをデザインし、彼の表現と素材の選択は変化するトレンドに合わせて進化しました。彼の初期の照明器具はガラスか金属、またはその両方で作られていましたが、1970年からは流行の色のプラスチックランプを幅広くデザインしました。スヴェン・ミデルボーは、そのキャリアを通じて、さまざまなシェード構造と組み合わせの実験を続け、その結果、 1968 年に発表されたVERONAペンダントが誕生しました。このシリーズはすぐに人気を博し、今日では、VERONA はスヴェン・ミデルボーの幅広い照明デザインの中でも最も象徴的なペンダントの 1 つとされています。

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内山章一は東京に生まれ育ちました。1977年に内山章一デザイン事務所を開設して以来彼は、ものを美しく見せ、人々に物体のテクスチュアと奥行きを感じさせるような、グレアのない間接光を生む照明器具の創造に取り組んでいます。内山のデザインは照明器具をとおして質の高い光を生みだすことを目的としており、彼は空間における間接光の美しい効果を実現しようと専心しています。

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Verner Panton(1926-1998)はインスピレーション溢れるカラフルな個性で知られています。色、形、光の機能、空間の驚くべきセンスを持つユニークなデンマーク人デザイナーです。 Pantonのデザインは、当時のインテリアのトレンドである色、形、素材に挑戦しました。その手順はこうです:「多くの人は色を使うことを恐れながら、大多数のグレーベージュの中で生きています。照明、色、テキスタイル、家具を実験し、最新技術を活用することで、新しい方法を示し、人々が想像力を働かせ、周囲の環境をよりエキサイティングにすることを目指しています。」 彼の作品について非常に明確な態度を示し、様々な大胆な素材を使うことを意識的に決断しました。さまざまな素材を使用することで、彼のデザインが「タイムレス」なものへと変化を遂げることはよくあります。彼のデザインに対する強い関心は、その逆であることを証明しています。

ミラノの中流家庭に生まれたヴィコ・マジストレッティは、パリーニ高等学校(古典科目専攻)に通い、1939年秋にミラノ工科大学の建築学部に入学しました。1943年から1944年にかけてスイスに移住し、ローザンヌのシャンプ大学でいくつかの学術コースを受講しました。このとき、エルネスト・ナタン・ロジャースと過ごし、彼の知的教育に重要な影響を与えました。
1945年にミラノに戻り、工科大学で建築学を卒業。すぐに、ヴィア・コンセルヴァトリオにある父親の建築会社、ピエルジュリオ・マジストレッティで働き始めました。
1950 年代は、この若き建築家にとって非常に忙しく実り多い時代でした。彼は多くの革新的なアイデアを考案し、あっという間に「第三世代」の最も優れた代表者の一人として頭角を現しました。
その後数年間、彼は建築家としてだけでなくデザイナーとしても活動するようになり、現代の「古典」として永遠に残る家具やオブジェを制作しました。この時代は、クザーノ ミラニーノ市庁舎 (1966-1969)、ミラノ サン フェリーチェ地区 (1966-75、ルイジ カッチャ ドミニオーニと共同)、サン マルコ広場の家 (1969-71) の時代であり、また、エクリッセ ランプ (1967) で「黄金の羅針盤」を受賞した時期でもあります。また、この頃から彼は、アルテミデ、カンペッジ、カッシーナ、デ・パドヴァ、フルー、フォンタナ・アルテ、フリッツ・ハンセン、カルテル、オリヴァリ、オルーチェ、ポッジ、シッフィーニ・モビリ・クチネ、ゲブリューダー・トーネット・ウィーンなどの一流企業と仕事を始めた。
彼のデザイン作品は、ニューヨーク近代美術館の常設コレクションや、アメリカやヨーロッパの多くの美術館に展示されている。建築分野では、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの名誉会員に任命され、同校の「客員教授」も務めたことは特筆に値する。ヨーロッパ、日本、アメリカでの展覧会や会議にも参加している。

Vilhelm Lauritzen (1894-1984)は、デンマーク有数の建築家で、先駆的な機能主義者でした。多くの彼の建物(Nørrebro Theatre,Daells Varehus デパート,RadiohusetおよびKastrupの最初の空港)は、現代生活の本質を表現しています。Lauritzenの絵画に描かれるその他の重要な建物には、フォルケス・ハウス(コンサート会場として知られる)、シェルセットビル、ワシントンにあるデンマーク大使館などがあります。Kastrup Airportのラジオウーセットと初代バージョンの両方が現在リストアップされており、他とは一線を画すモダニズムのモニュメントとされています。 彼の生涯を通じ建築がアートで応用され、そして「美観のない人生はない」という2つの信念を固く持ち続けました。 日光と人工照明の両方を マスターし、大規模な南向き・西向きの窓をもつ建築プロジェクトで日光を常に取り入れ、北東向きの窓から来る冷たい光と温かみのある日光を組み合わせています。Lauritzen の照明器具は、同じ考えに基づき、方向を定めた光と穏やかでより拡散的な照明を組み合わせることで、部屋を柔らかく彩ります。 初の照明器具 Vilhelm Lauritzen は Fritzsches Glashandel のために 1926-1929 にデザインされ、 Universal ペンダントと名付けられました。これは始まりに過ぎません。Vilhelm Lauritzen は真の機能主義者として、照明器具の開発と改善に全力を注ぎました。 オレガシー用に設計された Lauritzen は、1940年代半ばに Louis Poulsenの製品ライン に導入されました。1950年代には Lauritzen の主要な建設課題が進行すると同時に、より多くの照明器具がコレクションに導入されました。

ヴィルヘルム・ウォラートはコペンハーゲンのデンマーク王立芸術アカデミーで建築を学び、1944年に卒業しました。 20世紀のデンマークを代表する建築家のひとりで、特に、ヨーン・ボーと共同で設計したルイジアナ美術館(設計期間1958-1991)は、世界の美術館建築のなかでも傑出したプロジェクトに数えられています。美術館と教会の設計に優れ、コペンハーゲンの聖母教会やロスキレ大聖堂などの修復と改築を手掛け、ドイツでもグスタフ・リューベック美術館、ボーフム美術館などを設計しています。また、2004年にデンマーク重要建築物に指定された、物理学者ニールス・ボーアのサマーハウス(1957)も有名です。 1968年~1986年には王立芸術アカデミーの教授を務め、2001年には同アカデミーの名誉会員に推挙されました。また、1951~1953年には米国のカリフォルニア大学バークレー校で客員教授を務めています。 ルイスポールセンとのコラボレーションでは、ルイジアナ美術館のすべての特注照明器具を共同開発したのをはじめ、「サテライトペンダント」(1959)、「マガジン」(1974)、「マガジンマイクロ」(1991)、ポール灯の「マグナム」(1995)など、多くの照明器具が生まれました。

Vincent Van Duysen は、1962年にベルギーのロケレンで生まれ、ゲントのThe Higher Institute of Architecture Sint-Lucasで建築学の学位を取得しました。1986年から1987年、ソットサス・アソシアティ(ミラノ)で働いた後、1990年ベルギー・アントワープに自身のスタジオVincent Van Duysen Architectsを設立。現在、21名のスタッフが在籍しています。
初期の住宅プロジェクトは、インテリアの融合により空間構造を強化する方法で知られていました。2000年に完成した初めての大規模プロジェクト「The Concordia Office」で、建築家として評判は確固たるものとなりました。
本質主義と深みを携えた建築とインテリアが、 Vincent Van Duysen の作品の特徴です。現代の言語と素材に対する直感を組み合わせることができる稀有な建築家といえるでしょう。2016年9月、第25回Silver Edition of Biennale Interieur and awarded のDesigner of the Year とthe Flemish Culture Prize for Design 2015を受賞。
パリ、ニューヨーク、ロサンジェルス、ミラノ、ベイルートとリヤドのオフィスビル、ローマや東京のハイエンドの商業施設、そしてベルギーでは数多くのプロジェクトや重要な国際プロジェクトを展開しています。2016年には、ダダのキッチンを含むイタリアのMolteni&C.グループの新しいアートディレクターに任命されました。

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1960年生まれのデンマーク人、マッス・オドゴーは、インターナショナルな視野をもった新世代のデザイナーです。足すよりも引くことを良しとするミニマリストとして、「less is more」 を実践し、長い時間を持ちこたえる製品とするには、優れたデザインはロジカル、機能的でなくてはならない、と考えています。

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